NEW New Artists / NEW Backbone Artists 2026 選考結果&審査員コメント発表!

2026.10.01

2026年6月15日(月)〜7月15日(水)まで募集を行っていた展示プラン公募企画「NEW New Artists / NEW Backbone Artists 2026」に、たくさんのご応募をいただき、本当にありがとうございました。
このたび、一次の書類審査と二次の面談審査を経て、選考結果がまとまりましたので、以下の通りお知らせいたします。
あわせて、各審査員からの講評コメントも掲載しておりますので、ぜひご覧ください。

グランプリおよび審査員特別賞の受賞者による展覧会は【2027年1月15日(金)〜31日(日)】に開催予定です。お楽しみに!

募集ページはこちら:https://artcenter-new.jp/event/newnewbackbone2026/

選考結果

NEW New Artists 部門
(35歳未満)

グランプリ:
齊藤美帆

審査員特別賞:
荒井佳能(高嶺格)
ギザドド gxird/d(小川希)
阿部文香(五所純子)


NEW Backbone Artists 部門
(35歳以上)

グランプリ:
メランカオリ

審査員特別賞:
飯田萌(石原海)
石黒芙美代(岩田智哉)
須崎喜也(石田裕己)

審査員コメント

NEW New Artists 部門 審査員

高嶺格

「審査員なんてものは、えらそうにしているくらいでちょうどいいのだ」これを理解するのに何年もかかった。理解してからは、罪悪感を抱くことはなくなった。その代わり、それまで以上に応募書類に真剣に向かい合わねばならなくなった。人間の情報処理能力は人によってまちまちで、その能力において私はさほど優れている者ではない。(今回以上に数が増えたら自分の判断に自信が持てない。半分くらいがいいと思う)
審査に際し、“Art Center NEWに期待される社会的役割”が念頭にあった。ここはけして「洗練された作品」だけを求める場所ではない。むしろ「洗練されることを拒否する作品」、「他の場所で拒否された作品」にスポットを当てる、オアシスとしての性格がある。
その意味では、グランプリに選んだ齊藤美帆の作品は洗練され過ぎているかもしれない。ただ「新しい柵」というタイトルの魅力が絶大だった。「社会の分断」が言われて久しいが、それを人為的なものとして「柵」と名付けたこと、作品をリアルな身体的体験に落とし込もうとしている点など、作家としての勘所の良さを評価した。
個人賞に選んだ荒井佳能だが、正直、応募プランは評価していない。ただ、過去作品の膨大なファイルを見て、(数の多さに辟易しつつも)感心した。作らずにはおられない衝動、それを実践している人について、私はいつも畏敬の念がある。脳を開いて見せているような彼の制作態度に、覚悟と、信頼を感じる。

小川希

今回、NEW New Artistsの審査をさせていただきました。私の判断基準は、「何じゃこれ!?」と思えるかどうかでした。どこかで見たことがあるような表現や、優等生的なコンセプトなどにはどうしても興味が湧かないからです。と書きましたが、これほど情報が溢れ、加えてAIがいつも隣で話しかけてくるようになった現代では、そうした「何じゃこれ!?」と思えるような表現をするのって本当に難しいですよね。まあ、でもそれは、今が特別なのではなく、いつの時代でもそうなのかもしれませんが。だからこそ、言葉や理屈では捉え切ることができなくても、どうしてもその作品が生まれてきてしまう、そんなものに私は魅力を感じるのです。
審査員特別賞として選ばせてもらったGXIRD/D(ギザドド)は、今回の応募者の中で一番、「何じゃこれ!?」を体現しているように感じました。正直、本番で、何をやってくるかわからずとっても怖いですが、同じだけ期待もしています。
一方で、グランプリに選ばれた齊藤美帆さんはある意味、優等生的なプランではありましたが、その中核に「何じゃこれ!?」が含まれている感じがしました。作品を作っている本人でさえそれが何かを掴み切れてないのが、直接プレゼンをしていただいた時に感じることができて、どこか信頼ができたのでした。
そして、今回たまたま選ばれなかった方達も、完璧なコンセプトなどは追い求めず、自身の中に渦巻く「何じゃこれ!?」を大切にしてもらえたらと思っています。だって、それこそが、停滞した時代を切り拓く、NEW=新しい表現なのですから。

五所純子

 選考過程に面談があることが、このコンペティションの魅力でした。
 滑らかなプレゼンテーションよりも、たがいに言い淀んだり、沈黙が生じたり、困惑したように笑ったり、譲れないものが声にあらわれたり、そうした瞬間のことをよく憶えています。——労働/制作はどのように展示できるのか。作品そのものが真にシニシズムを志向しているか。「私」に還元されない言葉を探して。機械がしめす循環と生活にひそむ反復が出合うところ。水晶体をもちいた唯一無二の機構のこと。歴史的な死者たちの新たなイメージがどのようにありえるか。偽史と架空の生活具/武具がもちえるユーモアとシンシアリーについて。アリバイともサービスとも機能しうる土地・空間の固有性について。凸凹の雑で健やかで集合体について。
 芸術家になるとは、自分の立つ位置に杭を打つことでなく、いまだ地図化されていない土地に根のない木を植えつづけることかもしれない。選考・面談を通して、そんなことを思いました。
 ひとつ、囁きたくなりました。
 芸術は社会のためにあるのではない。
 芸術家は社会をよくするために働くのではない。
 人は社会と無関係でいられません。社会は、作家が自分のものだと思っている言葉や身体のなかに、すでに棲みついています。そこから逃げることはできません。だからこそ、作品まで飲みこまれないでほしい。作品に、社会との血縁を証明させなくていい。作品の出生届に、社会の署名をもらわなくていい。
 怖いからつくった。寂しいからつくった。美しいからつくった。わからないからつくった。つくってしまうからつくった。そんな理由でいいです。理由などなくてもいいです。
 若い作家たちが社会から孤立することよりも、社会の口に合うよう作品の舌を切りそろえることを、わたしは恐れます。
 審査員特別賞に選んだ阿部文香は、応募プランでは社会の口に合わせすぎているように思い、大幅な路線変更ともいえる提案をわたしは伝えました。しかしながら、〈生物の水晶体〉に着目し、それをレンズとする〈新たな写真の機構〉を開発し、〈撮影〉を実践していることに、いまなお驚愕しています。眼球から水晶体を取り出し、見るための器官を、見るための装置へ。この大胆な転用と、その行方を追いかけたいと思いました。
 世の中には、すでに答えは十分に溢れています。
 だから、問いのほうを消さないでください。
 問いは、答えよりもずっと不穏で、ずっと長生きもします。
 あなた自身のものですらないようなものを、これからもつくってください。


NEW Backbone Artists 部門 審査員

石原海

かつての私は必要以上にめちゃめちゃ尖っていたので、公募展などに応募して通らなかった時は、自分の問題じゃなくて、選ぶ側の問題なんだ!もはや私に選ばせてほしい!と思っていました。あれから時が経ち、無事に?奇跡的に?選んでもらって展示などに参加できるようになったいま、今度は恐れ多くも、初めて審査する側の機会を頂きました。
年齢が35歳以上という枠組みの中で、長い期間制作を続けてきた方々や、人生の紆余曲折があり制作を中断していた方々の作品を見ることはとても胸が熱くなる体験でした。それぞれの作品に制作の歴史が見え、作家であることや審査員であることを抜きに、ただのひとりの美術好きとして、みんなの制作の変遷を見ることができてとても刺激的でした。
今回審査をする上で、なるべくよくわからないもの、コンセプトが明確ではないもの、意味のないもの、でもそれなのに、とにかく作りたいという意志が溢れ出ている作品を選びたいという気持ちがありました。美術教育を受けていない人や、地方を拠点にしている人、もしかしたら一般的なアワードでは選ばれないかもしれない、そんな作品を推したいと思っていました。いわゆる現代美術的な道を歩んでいない人々の作品や、どこかぶっ飛んだ理解不能な作品を観たいという気持ちが自分の中に強くあるからかもしれません。
グランプリを受賞されたメランカオリさんのあまりにも自由なフォーマットのポートフォリオを見たとき、Newでの展示プランは完成が想像がつかないけど、その力技に謎の説得力があり、どこか遠くに連れていってくれそう、ついていきたい!と思いました。審査員特別賞は、飯田萌さんに贈らせていただきました。飯田さんの怪物だけをずっと作り続けている執念と、その怪物に命を吹き込む手段としてのアニメーションという、愛と制作方法が一致している点が素晴らしいと思いました。
今回審査させていただいてわかったのは、違った意見を持っている審査員のみなさんと対話をすることで、より深くそれぞれの作品への理解が深まるという点でした。岩田さんと石田さんとの対話を通して考え方が変わったり、評価軸を聞いてさらに納得したり、審査員の組み合わせでグランプリはまったく変わるだろうなという当たり前のことを再確認しました。(まったく関係ないけど、審査員の苗字が共通して石系=岩田・石田・石原で、こうゆうのをメランさんに伝えたら一緒に面白がってくれそうだなと思いました。高松で制作された言葉遊び的な作品もかなり印象に残っていて、Newでの新作がいまから楽しみです。)
制作はいつも自由だけど、応募というのは運の要素がかなり強く、あまり深く考えず気楽に応募し続けていくのがいいんだなと自分自身も改めて思う機会になりました。でもなんにせよ、美術は楽しいね!今回拝見させていただいたみなさんの作品を、今後また見れることを楽しみにしています。

岩田智哉

昨年、前回の審査員をされていた倉知くんとお仕事でご一緒したときに、ごはんを食べながらちょうどこの賞の話をきいて、「とてもおもしろい企画だな」と強く印象に残っていました。そのためお話をいただいたとき、「まさか自分が」という思いと、「自分もやってみたかった!」という思いでとても嬉しくなったのを覚えています。その一方で、実際に審査をしてみると、自分よりも経験値のある作家の方々の長年の作品や実践を、未熟者の自分のものさしで測ることにとても重い責任と緊張を感じました。とはいえ、やるからには誠実に、時間をかけてプロポーザルとポートフォリオをひとつひとつ拝見しました。
今回審査をするなかで、他のアワードや公募で求められるであろう、実現性の高さやコンセプトの言語化のうまさ、あるいは多数の応募のなかで目立つ力点の置き方の巧みさ、といったところとは違ったポイントを自分なりの審査基準として設けました。「35歳以上を35歳以下が審査する」という設計のなかで、他の賞でも通る可能性が高そうな方はあえて選ばず、長年活動を続けている、あるいは大人になってから制作をはじめたなかで、おもしろさの断片が見られつつも、まだそれがまとまった形になっていないアーティストが、その可能性を展示を通して検証できる場にしたい。それこそ、「NEW Backbone」という賞の中でだからこそできる試みなのではないか、と考え、その視点を大事にしながら審査を行いました。
また審査を進める中で、作品のテーマや制作への姿勢も記憶に残りました。自身の同世代とはまた違って、身近な人の記憶や生命などの喪失にまつわるテーマで制作している方もいて、年齢という軸があるからこそ見えてくる人生の変化と制作の関係も印象に残っています。
大賞のメランカオリさんは、プロポーザルを読んでもどのようなアウトプットになるのか全然想像できず、けれど何かいままでに見たことのないものを見せてくれるという確信めいたものを感じ、純粋に「見てみたい!」と強く感じたプランだったことが決め手でした。またインタビューでも占いに対する考え方やアプローチがとても魅力的で、これからどのような展示になっていくのか、とても楽しみです。
審査委員特別賞には石黒芙美代さんを選ばせていただきました。自身の中でのテーマが長年定まらないままひたすら描き続けてきた中で身につけた技術、そして偶然見つけたライフワークとしての制作テーマへの向き合い方や、展示を目的とせずひたすら自身の中での答えを見つけるために描き続けている姿勢に惹かれました。今回展示をすることで、彼女にとって新しい発見があればと思い選出させていただきました。
自身もまだこれからどう活動を続けていくのか、いつも手探りで考えている中で、先輩の皆様の多様な活動のあり方、そしてその展開の方法に、自分自身大きな勇気をもらうとともに、とても考えさせられました。審査を通して色々学ぶことができ、とても感謝しております。

石田裕己

 今回、審査に臨むにあたって最初に行ったのは、「現代アートというものに、自分は一体何を期待しているのか」ということを明確にする作業でした。それをきちんと言葉にしないことには、審査の取っかかりがないように思われたからです。
 そこで明確になったのは、自分が求めているのはまず何より驚きである、ということでした。これまで見たことのないものに出会うこと、これまで足を踏み入れたことのない時空間に立ち入ること。そうした経験にともなう驚きこそ、自分が真っ先に期待するものだった、というわけです。
 そしてもう一つ、今われわれが生きている現実についての、しっかりとした思考に裏付けられたものであってほしい、という思いもありました。現実に対する認識を、時として一般的な通念をも超えるほどに精緻化したうえで、そうして得られた現実観に基づいて、アートが現実のなかで果たしうる役割も構想し、実践すること。そういう作品は鑑賞者に対して、「現実って、こういうふうに見ることもできるのか!/現実には、こういう面もあったのか!」という驚きをもたらしてくれるはずです。
 グランプリを受賞されたメランカオリさんのプランは、上の二つの観点からすごく評価できるものだと、特に二次審査以降、強く感じました。「人間でタロットを作ります!!!」という、すごく突飛な呼びかけによって人を集めること。集団が持つポテンシャルを引き出すために、集まってから具体的な進行方法を定めていくこと。そうして出来上がった、具体的な人の集まりと密接に結びついたタロットを、来場者にも使用可能なものとして共有していくこと。メランさんのこうした実践は、「え、見たことないんですけど…」と驚きをもたらしてくれるものであると同時に(現に今も、「え、どういう時空間が立ち上がるんだ…」という期待とひやひやの両方を、すごく感じています…)、「現在において占いに何ができるのか」という思考、あるいは占いというレンズを通して行われた、今われわれが生きる現実についての思考に裏打ちされていることも、すごく伝わるものでした。
 そして僕個人としては、須崎喜也さんを審査員特別賞に選ばせていただきました。版画という既存の技法に向き合うことから出発しつつ、その特性や可能性を組みつくすようなかたちで独自の技法を編み出し、それを自家薬籠中のものとしているところが、とても面白いと感じました。その結果として出来上がる立体作品は明らかに特異で、実際どういうものなのか、実見するのがすごく楽しみです。また応募書類からは、技法を開発し使いこなせるようにするフェーズから、それを使って何ができるのかを試す応用・拡張のフェーズへと移りつつあるのかな、とも少し感じられて、展開に対する楽しみさもあり、ぜひArt Center NEWで展示していただきたい、と思い。
 選外となったみなさまのなかにも、面白い・重要なことをなさっている方はたくさんいらっしゃって、僕個人としてもとても楽しい審査となりました。みなさまの作品を、ぜひ実際に鑑賞したく…!
 最後に、審査員という立場を経験してみて分かった、こうした審査に応募してみようと考えている方へのアドバイスを記しておこうと思います。
 まず何より大事なのは、その展示や作品のどこが面白く、どのような意義を持つのかが、プランの段階ではっきりと伝わるようになっていることです。これが分からないことには、その案を推すことは難しいからです。審査員には、推すことに伴う責任があります。ある案を推した以上、「この点がこう面白いのだ!だからこそ自分は評価するのだ!」ということを、他の審査員や関係者、あるいはより広い人々に対して、明確に説明する必要があるのです(実を言うと、こうした気持ちが少しあったせいで、一次審査の段階ではメランさんのプランを他のお二人ほど強くは推せなかったという裏事情があります。当初から、とても面白いと思っていたのですが……)。
 ただ、それだけでは不十分なのかな、とも思います。プランだけで伝わる面白さや意義が、そのまま過不足なく実現されると予想できてしまう案には、審査員としてどこか物足りなさを感じてしまうからです(この気持ちは、案の実現に多大な労力・コストがかかることと無関係ではないでしょう)。「選んでも、想定していた通りのことがそのまま起こって終わるんだろうな…」という予感を与えるプランよりも、「想定を軽々と超えて、今はまだ見えていない面白さ・意義も持つ何かが立ち上がるに違いない!!」と確信させてくれるプランにこそ、審査員は惹きつけられます。実物を見てみたいという欲望や好奇心が、推すことの原動力になると言ってもいいでしょう。
 要するに、「最低でも、このくらいの面白さ・意義深さを持つ展示が出来上がってくれるだろう!」という保証と、「予想を超えた何かが立ち上がるに違いない!!」という確信の両方を同時に与えてくれるような、そういうプランこそ、望ましいものだと思われたということです。応募される際の、ささやかな参考にしていただければ幸いです…!